自分の目の前で誰かが転んだとします。あなたならどうしますか。
A 大丈夫ですか?と近づく。
B とりあえず様子を見る。
C Aが近づいたから大丈夫だと思う。
D あぁ可哀そうと思う。
E そんなところで転んで人に迷惑をかけないでくれよと思う。
F 馬鹿だなと思う。
G.H.I.・・・・・・・・・・Z。
まさに僕たちの見ている世界はこの様にできています。
世界はただ在ります。
そこに僕たちの解釈が、AからZまで、それ以上の解釈が僕たちの世界に様々な意味を与えます。
世界はただ在ります。
しかし、AさんBさんCさんDさんEさんFさんたちの見える世界は違います。世界はただ在るだけなのに。
これを信じるならば世界を変えるには自分の解釈が変わればいいということですよね。
世界と言うと大袈裟かもしれないので、現実とか現状とか目の前の出来事とか過去や未来のあれこれとか言ったらどうでしょう。
それらを全部変える力が自分にはあるということです。
日々、毎瞬僕たちは解釈し世界に意味を与えています。意識的、あるいは無意識に。
無意識に解釈していることは問題には感じないかもしれません。しかし必ず解釈しています。
例えば、朝目覚めてトイレに行くまでの間、どれだけの解釈をしているでしょう。
目覚めて気分がスッキリしていれば今日はいい一日だとか、雨が降っているとどうとか、起きてメガネが見つからないからどうとか、トイレの手前でつまずいたからどうとか。
問題には感じませんが無意識にあらゆる解釈をしています。世界はただ在るだけなのに。
そして次に、子供や配偶者など家族の顔を見て解釈します。
子供は言うことを聞くだろうか、配偶者は協力してくれるだろうか。世界はただ在るだけなのに。
この辺の解釈から問題を感じるのではないでしょうか。
子供が言うことを聞くように手を打っておかないと、と騒めき。配偶者が協力してくれない場合は何か手を打たないと、と苛立ち。
世界を自分の解釈で作っていきます。世界はただ在るだけなのに。
自分で思った通りの世界を作っていると気づいた時は衝撃でした。
自分の意識にのぼる解釈は世界をより良く作る最高のチャンスでした。
意識にのぼった時点では、どうしても受け入れたくなかったり、怒りが込み上げてきたりで、危うくそのような世界を作ってしまいそうになります。そのまま作ってしまったりもします。
少し前に怒りについても同じようなことを書きましたが(
https://ruahari.ti-da.net/e11302985.html)、作った世界を本当に望んでいたのかという自問が助けてくれます。
世界の創造主は自分でした。
そうかもしれないと思えるだけで現状をいくらでも変えることができる可能性が生まれます。
可能性があるか可能性がないか。
どちらが好みでしょうか。
これまで話した世界というのは病気や症状も例外ではありません。
可能性があるかもしれないと少しでも思えるだけで病気や症状は変化します。
目に見えない経絡という通り道を、目に見えない気というものが流れている。
その可能性を信じることから鍼灸師という仕事が始まりました。
あなたに可能性を与えてください。
読んでいただきありがとうございました。
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