ミシェル・フランコ監督の「ニューオーダー」という映画を観ました。
メキシコを舞台に、国が腐りきっているという内容の映画でした。
どの映画もそうだと思いますが、自分事として観なければ何の意味もない、特にそれを強く感じる映画でした。
「腐りきった」モノは当然僕の中にも、誰の中にもあります。
それを見る意欲があるか。という問いかけを感じました。
そしてまた、自分が見たいものだけを見るという選択がこの世界をつくっている、という訴えを感じました。
映画ではその「腐りきった」モノを、利己的、自己中心的なものとして描いていたと思います。
利己的、自己中心的というものに大小があるでしょうか。
大小を問題にした時点でそこにゴールはありません。
どこかで誰かが我慢をするだけです。多くは優しい人や立場の弱い人が。
利己的か利己的でないか。自己中心的か自己中心的でないか。
見るべきところはここだけです。
自分の中の利己的、自己中心的を見たら、それを訂正したいという意欲を持つだけです。
その意欲を持った瞬間に、それら利己的、自己中心的は変化の可能性を持ちます。
この利己的はそんなに迷惑もかけないし、この自己中心的は自分を守るためだから、と取っておいたらどうなるでしょう。
それらは訂正の機会を失い、利己的、自己中心的な自分を許容します。
そして自分に許容できない利己的、自己中心的を、利己的に自己中心的に攻撃します。
世界とはこれが永遠に繰り返されます。
どこかで訂正の意欲を持たない限り。そして持ち続けない限り。
意欲を持つことは難しいことでしょうか。
変わることを求められているわけでも、行動を変えることを強制されているわけでもありません。
ただ意欲を持つだけです。
「歴史は繰り返される」「歴史が証明している」というとんでもない狂言があります。
こんなものまだ信じますか。
こんなものは、ただ意欲を持ちたくない、という宣言以外の何でしょうか。
訂正の意欲。
映画を観た後にたくさんのその機会が自分の中に湧き出してきました。
それを恐れる必要も自分を卑下する必要もありません。
出てきたものを見て、ただ訂正したいという意欲を持つだけです。
とんでもない映画だったけど観て良かった~。
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