世の中には天才と凡人がいる。
間違いなく自分は後者のほうだ。
一番近くに天才がいると自分の凡人さがよくわかる。時には自分の凡庸さに落ち込んだりもする。その辺も含めての凡人である。
一番近くにというのは妻のことであり、妻のことをご大層に持ち上げて気持ち悪いと思われるかもしれないしそんな風に思えて幸せだと思われるかもしれないが僕にとってはどちらでもかまわない。とにかく僕はそう感じる。
彼女の天才を裏付けるものに父親の存在、故、仲村秀生がある。
言わずと知れた声優界の偉人である。ご存知ない方はご興味があればその名を検索してみていただきたい。
得体のしれない面白さ、凡人による凡庸な表現で恐縮ですがそういったものを彼から常に感じました。
その子である妻の天才さとは、その才をどこまでも広げていく才。
妻に限らず天才とは皆そうなのでしょう。知的好奇心の塊。
その旺盛な知的好奇心故に持っているあらゆる才が拡大し、さらに隠れた才が溢れ出てくる。
凡人である自分はこれらを羨ましく感じ、嫉妬し、対立し、そして落胆する。
天才になりたい。
しかしどうやら天才はなるものではないらしい。天才と長らく一緒に居るとようやくそれに気付く。
幼少期に与えられた自己肯定感の強さ故に天才と同じ土俵に立てると感じてしまったのかもしれない。
まあこの強力な自己肯定感には随分助けられたものだ。それのおかげでこれまでやってこれたしそれのおかげで天才と対峙してしまった。
自己肯定感という一見長所に思えるものが短所でもあるというこの世の二元性を表しているいい例だろう。
さらに言えばその自己肯定感の二元性を超越させるのが瞑想だろう。
なんにせよ凡人である自分は凡人であることを知ったのだ。これはめでたいことだ。天才になりたいという如何にも凡人くさい矮小な悩みから解放されたわけだ。
そうであれば凡人である自分は天才である妻からの恩恵を受け取ることも可能になったのだ。もちろんこれまでもその恩恵は受け取っていたのだが。
もっと早くに気付いていればという凡人らしい考えはもう感じないのは自己肯定感の強さ故だろうか。ああくどい。
世界を創造してきたのは天才で、凡人はその恩恵を受けてきました。これからも天才は創造していくでしょう。
天才はその天才に苦悩します。
天才同士が理解し合うことはできても天才同士が救い合うことはできないように思います。
天才を救えるのは凡人だけだ。
と、自己肯定でこの話を閉めさせていただきます。
厄介な凡人ですいません。
お付き合いいただきありがとうございました。
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